「十二指腸がんを体験して」 河野 誠さん
私は 年に手 2001年に手術をしました。
2000年の暮れあたりから夜寝るとシクシク腹が痛むんです。
おかしいなとは思ったけれど、まったくがんなどとは考えずにいました。
翌年の2月ごろ、いつまで たっても夜チクチク痛むのが治らないし、痩せてくるものですから診てもらいました。
「これは、十二指腸潰瘍だから薬を飲めば治りますよ」ということで、薬をいただいて カ2月飲んだんですが、一向にそのチクチクが治らない。夜になると痛む。そして体重もどんどん
減るんです。それで、もう一度検査をしてみると 「これは非常に珍しいんだけど、十二指腸に 、がんが出来ている」ということで、至急取ったほうがいいだろうということになりました。
データがないくらいめずらしいがん
先生は、非常にベテランだったんですが 「実 、は私は600回手術をしているけれど、十二指腸 がんというのはやったことがない」と言うんですよ。
それくらいめずらしいと。千葉県で年に数件しか発生しないということなんですね。生
存率も何もデータがないと言うんです。 「まぁ、 半分くらいは生きるでしょう と言われました 」 。
データがないくらいめずらしく、先生も初めてだけど 「大丈夫です、やります」ということで 、やってもらいました。
6月の中旬に入院して、7月4日に手術ということで毎日毎日検査検査で20日間近く検査をやって、それから手術を受けました。 9時に手術が始まって 「河野さん、河野さん」という 、声が何回も聞こえてきて、目が覚めました。それが5 時頃でした。だいたい 時8間くらいかかりました。十二指腸というのは非常に小さな器官なんですが、腸と胃の間にあって他の内臓器官の連結器のような役割をしている。肝臓とか膵臓とか胃とか、腸とかいうところの連結器を取ってしまうから、みんな離れちゃう。それをくっつけるので手術に非常に時間がかかる。手術後しばらくは8本、体から管が出ていました ね。女房が「タコの八っちゃん」なんて言ってましたけど、そういう状態でした。でも、自分ではこれでダメになるとは全然思わなかったですね。
敗血症であわや…
20 日くらいで出られるよと言われていたんですが、 7月の初めに手術して 7月の終わりころからまたおかしくなってきました。
内臓の器官をあちこちくっつけているので、漏れるんですね。なかなか液が完全に出ない。中にはこれが体内に入ると体が溶けちゃうというような膵臓あたりの液があるので、非常に心配がありました。
突如40 ℃の熱を出して、薬を飲めば下がるんだけど、数時間後にまた 40℃の熱が出る。
これはおかしいというので、あれこれ処置をしているうちに こっちは意識が朦朧としてきて 、 上の血圧が50くらいまで下がったんです。医者も慌てまして、家内も呼ばれて、危ないということになったんです。
実はこれは院内感染で細菌が血液に入る敗血症ということでした。
がんのほうは何とかなったけれども、これで死んじゃうんじゃいやだな、とその時は内心思いました。
それも、非常に手厚く治療していただいて、治りました。それで、最終的には9月25日に退院したんですが、実に3カ月と 15日、105日間入院していました。
その間 ちょうどあの 9.11のニューヨークの事件があった年でして、テレビで見て「あぁ、すごいことやるなぁ」と思ったことを覚えております。
それから、新宿の雑居ビルが焼けて、そこに入っていた飲み屋の人が大勢一酸化炭素中毒で死んだ、あれは9月の1日だったかな、そういう事故のあった年でした。
その後、先生が非常に心配されたのは、転移をしていると怖いということでした 。
「あなたのがんは非常に中枢になるところのがんだから、あちこちいっている可能性がある」と、それを非常に恐れられていました。胆のうはもちろん取りましたし、肝臓、それから膵臓、胃も 3分の1取りました。
別に転移しているわけじゃないんだけれど、周りへの転移を恐れて取りました。
そのために手術後管が8本出ていたわけなんです。それも徐々に1本ずつ減っていきました 。9月25日に退院してきて蝉の声を聞いたときは大変うれしかったです。生きてる感じがしました。
経過は順調、しかし…
十二指腸にはどうしてそんなにがんが少ないのかというと、非常に細胞の転換が早い組織だそうで、がんになる暇がないんだそうです。
どんどん新しい細胞に代わっていくので、非常にがんは珍しいということで、私も慌てて医学書を見ましたけれど、十二指腸がんなんていう説明文も医学書にはないんです。よっぽどのものでないと無かった。
自分でがんを体験してから、著名人の訃報を見るとつい何で亡くなったのかを見るようになりました。がんで亡くなる方は非常に多いんですが、十二指腸がんの方は一人しかいなかったです。でも、いました。この8年間に一人だけ 死因が十二指腸がんの方がいらっしゃって、やっぱりいらっしゃるんだなと思いました。
この7月で私も9年になりますし、医者からは「もうあなたは来なくていいよ」と言われました。
来なくていいよと言われると心配になるんですね。それで、ぜひ半年に1回くらいは診てくれとお願いして、無理矢理半年に1回検査してるんですけど、まぁ、良かったなと思っています。
病気はそんなふうに順調ですが、一昨年の夏 、熱が出た時に風邪だと思ったら胆道炎と言われました。肝臓でつくられた胆汁を十二指腸に運ぶ管が胆道で、そこに炎症が起きたということで、「あなたのような手術をした人はよく罹るし、悪化すると胆道がんになる」と言われました。幸いこれも治りました。
特に自分で変わったなと思うのは、風邪をひかなくなったことです。現役のころは、年に 2・3 回は必ず風邪をひいていたんですが、自分の体質が変わったように思います。酒を飲まなくなったこともあると思うんですが……
私の健康法
ちょうど、私が退院してきた頃、 9年、 10年前は、いわゆる「キノコ」ブームでした。キノコさえ飲めばがんにはならないようなすごい宣伝がありまして、本は出るわ、有名な医学者が出てきて宣伝するわで、キノコがいい、キノコがいいと言うんです。私なんかそういうのを読んですぐにキノコに飛びつきまして、アガリクス、メシマコブ、この二つが有名ですけど、一生懸命買って飲みました。高いんですよね。高いんですけど命には代えられないと 女房が、「飲め、飲め」、 「いいから飲みなさい」と。それで飲んでいたんですが、そのうちどうもそんなものは効果がないんだという説が出だしたんです。
逆にアガリクスなんて飲んでるとがんになる体質になるというようなことまで出てきて、困ったなと思いました。私は、何でも最後までやるほうなので、絶対にやめないで飲んでいたんですけど、薬屋のほうから詫び状がきました 「生産を中止しましたのでもうご提供できません」ということで、アガリクスをやめました。
やはりこれからは免疫力だなと、それがまず強くならないとがんには勝てないなと考えるようになりました。若い人ががんになりにくいのはやはり体力があるからじゃないかと。これもいろいろ本を読んだり、たまたま町内会で講演会があったので聞きに行ったときに まず食事、それから運動、それからストレスをなくすと、こういうことがいいんだと話されていました。
私たちのように老人になってくると、老化防止というのも非常に大きな問題になってくるんですね。がんも怖いですが、実は老化のほうも怖いので、なんとかあまりボケないでいたいなと思っていたときに、ちょうどその話がつながったんです どういう食事がいいかと思ったら 「まごはやさしい」と言うんです。
ま・・・豆
ご・・・ゴマ
は・・・ワカメ・海草類
や・・・野菜
さ・・・魚
し・・・しいたけ・キノコ類
い・・・いも類
こういうものを食べていると体の中に免疫力ができる、と。どちらかというと我々は肉が中心だったですよね。魚よりは肉、野菜なんかも
食べない。だいたい現役のころは、野菜なんかイヤでした。こんな生野菜をどうして食べるんだろうと思ってましたが、この話を聞いてから特に野菜、それから魚、豆と、これを私は中心にしたんです。
豆で一番いいのは納豆。毎朝1パック食べます。体にいいような気がします。ゴマは粉末になったものもありますし、ワカメや昆布、それから野菜は摂らなきゃいけないということで、朝どんぶりにいっぱい人参とキャベツを中心にして、トマトとかいろんなものを食べます。絶対に煮たりはしない。レンジに入れると旨いと家内は言うんですが、あんなもので温めたものはイヤで、生がいいです。それから、魚。今までは、肉と魚では 対 くらいで肉が多かったんですが、これを逆にしまして肉1で魚が3。特に魚は青身の魚がいいんですね。これは、ドコサヘキサエン酸(DHA )が非常に多い。これ は、血流を良くして動脈硬化を防ぎ、免疫力をあげてくれる。青身の魚と言えば、サンマやアジ、イワシ、サバ、安い魚でいいんです。肉はなるべく食べない。でも 肉食べたいですよね。
たまに 食べるとものすごく美味しい。これも家族の協力を得まして、なるべく魚を食べる。野菜は山ほど食べる 納豆は朝必ず1個食べる。
この3つは確実に守りながらその他のものを食べています。
それから これに新しくつけたのが“よ” 。「ごまはやさしいよ」とつける。これは、ヨーグルトです。ヨーグルトは非常に良いと思いますね。毎日買っているとたいへんなので、これも女房が当時流行っていたカスピ海ヨーグルトの種を三越で買ってきて、1回やったらずーっと続いています。変える必要がないんです。ちょっと入れておくとできる。冬だと丸2日。夏だと1日24時間でヨーグルトができる。それはもう絶対に欠かさない。これも山ほど食べる。乳酸菌がありますから体に良いということで、食べ
ます 「まごはやさしいよ」が我が家の食事の中心です。
運動と遊びも取り入れて
それから、ここに“ああ”をつけます。
これは 別に嘆いているわけではないんですが 、「あ 」は「歩く」です。
もうひとつは「遊び」なんです 「ああ、まごはやさしいよ」と。
9 年前前の手術までは歩くのは嫌いで、スポーツも大嫌いでしたが、先生に歩いたほうが良いと言われたものですから、やりだしました。最初のころは5分くらいしか歩けなかったんですが、今は1日4~50分歩きます。
人によって は1日1万歩歩くとかいいますが、それはちょっとできないのでせいぜい4~50分。50分いうと、だいたい5~6000歩になります。これだけ歩いていれば体に効く気がします。途中あちこち寄って、時には喫茶店に寄るなどいろいろ楽しみながら、そのかわり毎日行きます。絶対に私はやめない。家内が呆れるんです。行くのやめろと言っても行く。雨が降ったら外は無理なので、家の中を歩く。家の中を歩くのはものすごく疲れるんです。小さい家だからすぐにぶつかる。クルクル自分の家の中を回ってると目が回っちゃうんです。だから、家の中のときは25分くらいにします。そのかわり階段を上がり下りする。これが良い運動になるんです
ね。 15回から20 回上がり下りすると、1時間歩いたみたいに疲れます。しかし、どんなことがあっても私はやりだしたらやめない。雨だろうと風だろうと、歩くんです。
また、太ももの筋肉をつけるため、左右片足立ち1分間体操(ダイナミックフラミンゴ 体操)もやり、寝たきりにならないよう気をつけています。
人間、ストレスが良くないと言いますが、私はそうじゃないと思っています。悪いストレスはいけないけれど、良いストレス、刺激を与えるストレスは大いにやるべきだと思いまして、これまで無趣味だったんですが、退院してから囲碁を始めました 二つの町会で週に半日ずつ 。 2回あるんです。それから、 5年ほど前から川柳を町内会ではじめました。 15人ほど集めてやっていたら会長にされて 下手な川柳なんですが 、そういうことをやっています。この川柳をやってちょっと失敗したなと思っているのは、新年会がαの新年会と同じ日で、会長になったものですから、今年はαの新年会には来られませんでした。αの新年会はとても楽しみにしていたんですが……。
その他にも、ちょっと現役時代の資格があったものですから、 全然畑違いなんですが 、千葉県の弁護士さんたちと「消費者行政を良くする会」というのを作って活動
しています。地方の消費者行政というのは非常に遅れていて、市町村に消費者からの苦情を受けるような窓口がありません。千葉県では57の市町村のうち半分以上は窓口がないんです。そういうものを作らせようということで始めまして、これは私が中心になっているわけではないんですが、サポーターとしてやっています。そういうものもひとつの遊びじゃないか、良い遊びなんじゃないかなと思っています。
がんがなぜできるかということを本で読むと、正常な細胞がなんらかの影響で急激に大きくなったりして、それで悪化してがんになっていくとあります。
なぜ急に悪い細胞になっちゃうのかというと、やっぱり何かストレスがあるんだろうと思うんですね。身体的、精神的なストレスが。しかし、特に私たちのような高齢者はボケが非常に怖いので、ボケ対策でも良い刺激を与えることはいいんですね。そう思って自分でもあえて遊んでいます。αでも良い刺激をもらえますし、通信を読ませてもらうと良い刺激を受けます。みなさん、がんばっているんだなとか、医療はここまで進んでいるんだなとか、いろんな刺激を得ますので、非常に参考になりま
す。
こういうことをやりながら、食事に注意し、自分でラジオ体操からいくつか取り出して、夕飯前に自分なりの体操をする。子供や孫のことはもう気にしない。自分たちのことは自分たちでやるようにと割り切って考えております。
今日一日に感謝し、明日に期待しない
最後に、私は日本人に一番多い無宗教なんですが、この病気になってから、我々の力ではどうしようもないような存在がある、それが助けてくれたりすると思うようになりました。もしそれを神とするならば、それは、キリストでもない、お釈迦さんでもない、イスラム教でもない、非常に大きなもの、それが世の中を運命まで決めている、抗いようがない存在なんですね 。
だから我々はもうお気に召すまま、神の意思のままに生きていると、明日死ねといえばどんなに抵抗しても死んじゃうだろうと思います。それで考えを変えまして、なんとか生きたいなんて思わない。今日一日生きられたことを神に感謝しようというふうに自分で決めました。夜寝る時 今日一日楽しく過ごせました と感謝し 、「明日もよろしく 」とは言わないんです。
今日だけのことを感謝するということで一日を終わることにしております。
ありがとうございました。