---第30号特集記事---


―気功と代替療法・統合医療


百々雅子 氏 (1/2)
聞き手:五十嵐昭子






西洋医学では診断のつかない病を体験して

―百々さんとは「α」で気功を中心に5年のつきあいになります。あまり「まじめな弟子」とはいえませんが、(笑) それでも5年も続けていますと“気功の力”が少しは見えてきたように思います。このインタビューでは改めて気功の基本的なことから始めて、現在注目を集める代替医療や統合医療へと話題を展開していきたいと考えます。欧米では気功も代替医療として位置づけられているということですね。まずは百々さん自身が気功を始めた理由から聞かせてください。

今いわれたように後の方で代替医療とか統合医療といったところへ話を広げていきたいので、その質問には個人的なことではありますが、少し詳しくお話ししていきます。
 
私は30代前半に、病名のつかない症状に苦しんでいました。始めは立っていると頭がぼっーとしてくる起立失調のような症状がでていて、病院でも診てもらっていたのですが、だんだんと身体が重く感じられるようになり、しまいには動けなくなって寝ているよりほかなくなってしまったのです。呼吸さえ苦しくて、目を開けるのもつらい状態が続いたのですが、病院では「検査結果はすべて異常なし」ということで結局診断がつかず、そのため治療法も定まらない。今でいうセカンド、サードオピニオンをと思って新しい病院にいくと、また検査のやり直しで病院内をあっちこっち行かされて、やっぱりわからないとなるのです。



― 西洋医学では、検査データや画像診断で変化が見えないと、どんなに自覚症状があっても手のくだしようがない、という限界があります。「精神的なものだろう」ということになってしまう。

百々: それがまた不安を増幅するのですねえ。当時、子どもも小さく手が掛かり、どうやって今日を明日につなげようかと…。入院していても何も治療ができないので、家に帰って何とかいい方法がないかと探しているときに、当時日本に来ていた中国の気功師(丁治紅氏)に出会ったことが気功を始めたきっかけです。西洋医学で何もできないなら別の方法で、というのがそもそも私の出発点でしたから、代替医療と併用するとか、どちらがよいだろうかと迷う余地はなく、その意味で始めから代替医療しかありませんでした。もちろんそのころ(1980年代)は、代替医療という言葉も日本ではほとんど見聞きしない時代でしたから、周囲は「そんな訳の分からないことをしていないで、西洋医学でもっといい病院があるのではないか」「徹底的に検査を受けたらどうか」あるいは、「精神科に通うのはどうか」という“親切な”アドバイスばかりをもらいました。(笑)
 
でも、もう私としてはそれまで2、3年間いくつかの病院にお世話になっていたので、検査も十分に受けていたわけだし、それに少しも良くならないばかりか悪化の一途だったのですから、それ以上西洋医学の方法を探すことには希望がもてませんでした。それでその気功師にお話を聞いたところ、私の中国医学による病名、“証”をすぐに付けてくれました。この“証”というのは体質と病気の症状をクロスさせた診断です。その人の身体がある症状を呈している、というホーリスティックな考えなのですが。
 
また、私がそれまで気功に関して聞きかじった知識をはるかに超える深い答えを聞いたとき、その方を師として気功を徹底的に習うことにしたのです。



―中国医学では、西洋医学でいう“病名”といった病気そのものをとらえるという視点ではないのですね。先ほども言いましたが、西洋医学では、原因が特定できないと「不定愁訴」とか「不明熱」などといわれ、対症療法を施すことになります。病名と証、それぞれの付け方の違いがそもそも治療法に対する考え方の違いになっていると思うのです。西洋医学では「診断はついた。しかし、治療法はまだ確立していない」ということは新しい病気に関してはまま生じます。しかし漢方などではそういった話しは聞いたことがありませんが、体質と症状で診断するのならそのはずですね。

 “診断が付く”ということが、病人にとってようやく一里塚にたどりついたという気持ちになることだというのはよく分かります。それにしても、その先生に師事したということが、結果としてみれば人生の岐路を決定づけた決断だったわけですね。

気功とは何か?

―さてそれでは気功の基本からお聞きしたいと思います。まずは気功とは何かというところから始めましょう。

百々:中国の伝統医療の一つです、というのがわかりやすいでしょうか。中国の伝統医療とは日本には“漢方”や“鍼灸”“マッサージ”として伝わっていますが、このほかに気功があり、また食事療法もあります。気功そのものの歴史をひもとくと4、5千年もあって中国医学の体系化より古く、もともとは心身の修行法であったものです。これがのちに医療の発達の中でそのなかに組み込まれていったのです。


―「α」の気功教室でもいろいろな型がありますが、一般に気功はどんなことをするといえばいいのですか。

百々: 説明よりも実際に見てもらうのが一番早いと思いますが、ここは紙面なのでとりあえず説明してみます。わかりやすくいうと現在のイメージ療法、呼吸法、自律訓練法、瞑想、漸進的弛緩法、コーチング、タッチング、各種体操などなどを全部一つで併せ持っている方法です。要はこれらの大ご先祖様なのです。いま代替療法で用いられている方法の多くがここにルーツがあることは、少し気功を勉強していくとよくわかります。中国5千年の歴史を見くびってはいけません。(笑)
 
先にいったようにもともと心身の修行法なので、意識による心身のコントロール法なのですが、歴史的にここから大きくは医療を目的とするものと武術のためのものとに分かれてきました。どちらも現在のような学校はないわけですから、その方法は流派という形をとって、そこの優れた弟子を通じて長い歴史のなかを保存され、変化しながら継承されてきました。今、気功として日本で目にするもののたいていは医療を目的にする方で、かつ自分でするものです。現在の言い方をすればセルフ・ケアとかセルフ・メディケーション(自己治療)の類です。これが「α」でもやっているもので、実際には軽い動きのあるもの(動功)と、瞑想のような動きのないもの(静功)があります。いずれも形、呼吸、イメージの3つを整えてするものです。この3つが重なることが効果をはかる上で大切です。
 
ただ残念ながらイメージのない気功が多く、これは心の世界に入ることを恐れて伝統流派を弾圧した中国の文化革命の影響があるのですが、こうなると効果は半減しますので、どんな気功をやろうかと迷うときには、イメージが付いた伝統流派かどうかは選択の基準になると思います。とはいっても、中国でも伝統流派の担い手は革命時に殺されてしまったこともあり、数が減ってしまいました。日本ではさらに少なく、そもそも気功ならみんな同じという考えが一般的ですが、イメージがない気功ならここから派生した太極拳をやっても同じです。



― 気功と太極拳の大きな違いはイメージがあるかどうかだということですね。日本では両方とも健康法だという認識ですが。

百々: 太極拳のルーツに気功があります。太極拳は「拳」の字が付くことでわかるようにもともと武術ですが、気功が武術に行った流れから生まれました。日本の武術、合気道も遠いルーツは気功です。武術は内に貯めた力を技として外に出すものです。医療のため、自己治療のためということでいえば、心身の内に向かい内で働く力を練る気功の方が断然適しています。内に向かう力は気功歴1年の到達点が太極拳3年に相当するといわれています。

病を治す力

―西洋医学では病気を引き起こしている原因をつきとめ、それを取り除くことが治療という考えですが、気功の場合“病気を治す”ということをどのように考えているのでしょうか。

百々: 昔から伝えられた理論がありますが、それはそれぞれの流派において口伝で伝えられてきたもので、この説明は私たち現代人には難解ですので、現代流にお話しした方がわかりやすいかと思います。要は、ゆったりとした動き(あるいは動かない姿勢)と呼吸を合わせながら、あるイメージをもって練習していくなかで、深いリラクセーションが得られるようになります。
 
深いリラクセーションとはいうものの、これは眠っているときのような、つまり脳が夢を見たりするような勝手な動きをするのではなく、意識のコントロールのなかでこそできる深いリラクセーションです。これが得られているとき、身体のホメオスタシスがはかられて、つまり身体がもともともっている生きる力が高められて、健康ならそれを強化し、病気がある場合それを治癒しようとする動きがでてくるのです。これは「免疫力が高まる」とか「自然治癒力が回復する」といわれるものです。でもそれだけではありません。



― というと?

百々: もっと重要なことがあるのだと思います。つまり気功の練習は、自分の意識で自分の身体をコントロールして深いリラクセーションを導く結果、自然治癒力が回復するのだといいましたが、こうやって自分の力で自分を治していく力を作り出せる、という自信が得られるということに注目して欲しいと思います。今の社会では、病気になると医療のお世話になるわけですが、難しい病気ほど患者は、病院では極端な言い方をすれば「まな板の上の鯉」的な無力感を感じざるをえないのが現実です。
 もちろんセカンドオピニオンをとったり、治療法の選択をしたりすることがあっても、立場としては結局のところ医療の「消費者」を免れないわけです。そうしている間に、先の無力感は不安感も伴うし、鬱々とした気持ちも伴いやすい。「病気に負けない」とか「病気と闘う」とかいっても、そういう気持ちを持続していくのは本当にむずかしい。こうなると病気を治す上でよくない心理状態、そしてひいてはそれにつながる身体の状態に入っていってしまうわけです。


― 病人の多くは医療に関しては素人です。プロとして医療サービスを提供している医療者に対しては、確かに“消費者”という存在ですが、しかし医療者側に「私はこういう医療が受けたい」と要求していく“賢い消費者”になることは可能です。それでも不十分だとお考えですか。

百々: 医療の消費者から生産者になれて初めて、先の自信が得られるということです。人が本当に積極的な肯定的な気持ちになれるのは、自分が対象に主体的に関わるときですよね。たとえば物を選ぶとき、その選ぶ基準を探していろいろ動いてみるというのも一種の主体性ですが、もしその欲しい物を自分で作ることができたらこれに勝る積極性、主体性はないわけです。
 
医療が専門化して、自分でできることなどない、と患者側が思いこむのは、専門化が進む時代のせいでもありますが、これは本当にそうでしょうか。自分の身体に対して自分でできることがないというのは、病気になった者が医療の受け手という意味での「患者」の役割しかできない、ということではありませんか。自分でできることはあるし、実際しているのです。
 
このよい例として風邪を引くことをあげてみましょう。風邪が治るのは、結局のところ身体が治そうとしてくれるからです。風邪を引いた自分のなかに風邪を治す“薬”がある。私たちが風邪を引くと出てくる諸症状一つ一つが、実は風邪と身体が闘っている状態なのです。
 
流れでる鼻水は、鼻に入ったウィルスや菌を洗い流して外に出そうとするため、咳も喉や気管の同じく掃討作戦、この身体への入り口での追い出し作戦に勝ち目が薄いとなると、今度は発熱という全身を使った作戦に移り、熱による風邪菌の殲滅を図るのです。うっとうしい風邪の諸症状を、私たちは多くの場合風邪薬などで押さえつけてしまうのですが、本当はこれによって身体は風邪と懸命に闘ってくれているのです。身体のなかの薬は実に勤勉、健気なのです。ですから身体を暖め休ませたりして、その薬の力を高めることが自分のできることだし、それを高めようとすることで、風邪にも積極的に関われるのです。風邪だけでなく、あらゆる病気にたいして身体はその症状を出しますが、それは愛すべき身体の抵抗であり、闘いなのです。
 
その「薬」が実は免疫力、自然治癒力なのです。私は気功を通じて皆さんに、自分でこの薬を作り出せる医療の生産者になってもらいたいのです。身体のなかで「気」が集まるところを丹田と呼びますが、丹田の「丹」は薬の意味でもあります。ついでに「田」は場所という意味ですから、丹田は薬が集まるところでもあるのです。気功の練習によって気を高めるとは、身体のなかの薬を強く練り上げることなのです。
 
病気に対してどんな治療を受けたとしても結局その治療効果は自己の免疫力をいかに高めてくれるかによるのです。免疫力とは生命を持続していく、生きていく力です。そしてその力を高める方法はいくつもあるはずだ、というのが現在の代替医療の高まりを作ってきたはずです。ただその方法が、栄養補助食品を代表として、あまりにも多くでてきて選択できなくなっているのが問題なのですね。
 
しかし外からどんなものを入れようと、それを受け入れる心身がまず整わなくてはいけない。気功やそこから派生した座禅や瞑想(気功では静功に属するもの)などは、東洋の心身コントロール法の代表格で、私は大いなる遺産だと思っています。



― 今、免疫を高めるということは、西洋医学のなかでも非常に注目されてきています。ストレスによる免疫の低下がさまざまな病気を引き起こす。従って、免疫をあげてやることで病気を治したり予防することができる、という考え方ですね。生きがい療法を提唱されている伊丹仁朗先生は、「α」の講演会にも来ていただいたことがありますが、笑うことで血液中のナチュラル・キラー細胞(NK細胞)の活性があがることを実証されています。NK細胞はまさにがんを退治する免疫を担っている細胞で、白血球の一種です。
伊丹先生は、3時間、吉本興業のお笑いを見て笑ってもらい、その前後でNK細胞活性をはかるという実験をし、活性が上がることを実証しました。気功をやる前と後で測っても、おそらく後の方が上がっていると思います。やってみたいところですね。


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