---第28号特集記事---

― 在宅ホスピスという選択 ―


大岩 孝司氏 (さくさべ坂通り診療所 所長)
(2/2)






「生活の場」が辛い症状を和らげる

 緩和医療を受ける「場」がいくつか想定できますが、今回は本題の「在宅」の話に絞っていきます。なぜ、在宅が良いのでしょうか。自分の家にいたいと思う患者さんにとって、家にいることの意味はいまさら言うまでもありません。あえて言えば「自由である」「孤独ではない」などを挙げることができるかも知れません。病室はいうまでもなく、ホスピス病棟であっても、至れり尽くせりの対応がある家とは全然違います。
 「自由度が高い」―身近で切実な例として、おならひとつを取り上げても、これが実に大きな問題なのです。病室、特に大部屋だったら四六時中他人と一緒ですから、とても辛いですね。こういう自由だけでも尊いのです。

 
「孤独」ということについて考えてみます。多くの患者さんが死を実感すると、そばに誰かがいてくれないと不安だ、と思うようになり、その気持ちがひしひしと伝わってくるようになります。家で寝ていると、奥さんが台所仕事や掃除をしていたり、あるいはご主人がウロウロしたりと、家族の気配が常に感じられ、とても安心します。つまり家で看護をするということは、必ずしも枕元にいる必要はないのです。気丈でしっかりした人、あるいは療養がうまくいっている人でも、最後のある時期になってくると、家族だけではなく訪問をした我々の手を放さなくなったりします。このようなことも病院、あるいはホスピス病棟とは比較にならない素晴らしい光景ではないでしょうか。ホスピス病棟は家族がいられるということですが、家でくつろぐということからはほど遠いと言ったら言い過ぎでしょうか。

家族にとっても、家で看るということは日常生活をしながらできますから、ある意味ではラクなのです。在宅は、家族の負担がとても大きい、という見方があることも事実ですし、実際に大変でもあります。ただ、このようにむしろ負担が少ない部分も多いのです。はっきり言って大変な時期は非常に短い。患者さんが自分のことを分かっていて、家族がきちんとした対応をしていけば、寝たきりになることはほとんどありません。亡くなる前日まで自分の居間に座って、普通に話している患者さんも少なくありません。

 
私がこの診療所を始めて困ったことは、患者さんが亡くなった後に「こんなに早く死んじゃうなんて。急に死んじゃった」と、家族に言われることです。「いつ亡くなるか」ということは、あまり予測できないのですが、それでも最期の場面になると、血圧が下がって体が冷たくなります。しかし、在宅ではそのようなときでも患者さんの態度・行動が違うのです。たとえば、家族に「一両日中に危ないですよ」と話しても、体のなかの酸素の取り込みが悪くなっているのに、その患者さんは辛いながらも居間に座っていたり、つかまりながらもトイレに歩いていったり、食事をしたりするのです。もちろん、全てがうまくいくわけではなく、家で寝たきりになる方も、うまくやり取りができない方もいます。しかし、いろいろと療養環境を整えて、少しでも良い状況ができたときは、在宅に優るものはないと感じています。

 
家での療養を考える患者、あるいは家族が心配されることのなかに「家では痛みがとれないのではないか」「いつも看護師がいてくれるわけじゃないし、家族だけでは無理ではないか」という問題があります。実際、がんの療養やホスピスの本を読むと「苦しくなったら病院へ」と書いてある。これは、結論から言えば大きな誤りです。もちろん、条件はいくつかありますが、治療効果・症状緩和効果は家の方がはるかに高いのです。同じ水準の技術をもった医師が、同じような症状を訴える患者を診療した場合、在宅と病院では治療効果が全然違うのです。

 実際に私たちが診療した患者さんの場合をお話しましょう。病院ではいろいろな治療をしてもうまくいかず、痛み止めを使うと吐いてしまう。そういう患者さんのなかで、家に帰るだけで吐き気などがピタっと止まる人がかなりいます。もちろん処方を少し工夫したり、薬を替えたりすることもありますが、ほとんど前の病院の処方のままで、ピタッと止まる。私の役割は、訪問して家でも医療の保証はできるということを伝え、安心感をもってもらうことくらいです。つまり、私たちの緩和医療技術が優れているのではなく、家にいられるという安心感が症状の緩和をもたらしていると実感しています。そういう意味で、私にとって在宅緩和医療というのは、特別な研鑽も投資もしないで、治療に必要な大きな武器を手に入れたことと同じ効果を得ることができる、と言えるのです。

「患者中心の医療」を先取りする医療

ここで、在宅と施設の比較をしてみます。主客転倒という言葉があります。例えはあまり良くないですが、病院では患者がどちらかというと客で、医療者が主(あるじ)です。在宅ですと、我々が客で患者が主なのです。病室では、突然ドアをガチャッと開けられる、カーテンをガバッと開けられる、そういう経験をおもちの患者・家族の方が多いと思います。でも、自宅では、トントンと玄関口でノックをして、「ご免ください」と言って家の中に入っていきます。しかも、「どうぞ」と入ることが許されたことを確認してからです。それだけで、状況が全然違います。そういうことが結果として、我々医療チームに対する患者の気持ちのもち方に大きな違いをもたらし、さらには「生活の場での療養」ということが加わって、「症状緩和の場としての優位性」を生むのです。

 次に費用がどうか、ということです。費用については、全て健康保険が適用されます。差額ベッド代等の診療費以外の費用がかからないという点では、むしろ病院に入院するよりも安いと思います。医者が来て、看護師が来るからものすごくお金がかかると思うのでしょうか。私が毎日訪問した場合には、医療費は何十万円になりますが、高額医療費の償還が受けられます。75才以上の老人は12,000円しかかかりません。普通の健康保険の方は3割負担ですけれども、最大74,000円を超えた分の差額は後で還ってきます。しかも、家族が病院へ付き添うための通院による肉体的負担・交通費など、もろもろの経済的な負担がありませんから、入院しているよりも負担が少ない可能性が高いといえるのです。

 患者をめぐる人たちの「役割」について一言ずつ触れておきます。家族の役割は、入院の場合とは大きく違います。病院では、何か治療をするときに家族が病室から出てなければならなかったり、点滴をしている場合でも見ているだけですが、家では一緒にやってもらいます。例えば、点滴の注射針は医者か看護師が入れますが、抜くのは家族にお願いします。動くのが大変になった患者さんの場合、清拭や下の始末をするときなどは、ヘルパーに応援を頼むとしても、やはり家族が参加することが大切と考えています。そして、家族が関わっているという、そのことが患者さんの安心にもつながるのです。つまり、家族の役割は生活自体を支えるということはもちろんのこと、医療・看護への参加です。大変だと思うかも知れませんが、皆で分担をして、療養を続けられるようにしていくわけです。

 在宅で療養するときには、医療チームの側にもそれぞれの役割があります。医者はもちろん辛い症状をとることを中心にした医療をきちっとやる。看護師の役割は、一言で言うと医療と生活の仲立ちをすることです。家で生活する・家で療養するということは、毎日毎日が生活ですから、そこをうまくコーディネートすることが看護師の大きな役割です。

 もう一つ大事なのは、ヘルパーの役割です。家族の介護負担を軽減するという目的から、やって欲しいことを明らかにすることが、ものすごく大切です。「患者のそばには家族がずっとつきたいから、家事の手伝いをしてほしい」とか、あるいは「ちょっと出かけたい」、「少し休みたいから、患者のそばでみていてほしい」という具体的な役割をハッキリさせて入ってもらうことが必要です。多くの患者は、あまり色々な人に関わって欲しくないと思っていますから、ヘルパーが入れば良いということではありません。それぞれの役割を上手に分担することが、在宅での療養をつなげることになり、患者が安心できる環境になるのです。


現実を肯定的に評価する

家族と患者はお互いを映す鏡である、という話をしました。患者にとっても家族にとっても大切なことは、病状をきちんと理解し、健康なときと比べないことです。患者に対しては、事実に基づいた話をしながら、今できることを評価する。例えば、ある状態になると、もう多くは食べられなくなります。「もっと食べさせたい」という気持ちが、「これしか食べてくれないのです」という表現になります。家族の気持ちは分かるけれど、本人はもっと辛いのです。食べたいけれど、食べられない。そこを認めてあげるということです。例えばアイスクリームを2口食べたら「アイスクリームを2口も食べた」という言い方と、「アイスクリームを2口しか食べない」という言い方では、患者の気持ちがどう違うか、ということはご理解いただけると思います。

 人間は、言葉を使ってコミュニケーションします。同じことでも、否定的に言うのと肯定的に言うのとでは、相手への伝わり方が全然違うのです。患者の具合が悪くて寝ているときに、具体的な治療・看護の良い手だてがなくて何もしてあげられないのではなく、そばに居てあげられる、ということが大切です。そのときに、「そばにいるしかない」「寝ているしかない」「やることはない」と言われるのと、「今は寝ているのがいいのですよ」「今は、家族がそばにいてあげることがいいのですよ」とでは、やはり違うと思うのです。できることを評価・尊重することがとても大事です。

 もう一つは、禁止事項をなくすこと。心配のあまり「それをしちゃダメ。私がやるから」と言いますと、「ああ、またできなくなった」と患者は喪失感にさいなまれます。そうではなくて、できることをできるように協力するということです。がんという病気は、安静にしていたら病気の進行が止まるとか、無理をしたから進行が早まるということはありません。もちろん過労は避けた方がいいですが、多少の無理はがんの進行とは関係ありません。むしろ、本人の気持ちが満足することを優先する方が、病気の経過としてはよいことが多いのです。「過保護・過干渉を避ける」というのは、いつの場合も大切ですね。患者は、することがなくなるとどんどん沈んでいきますから、それを避けるということです。

 これとは反対に、「家族の思いを患者に転化しない」。これは、こういう仕事をしている看護師・ヘルパーにも言えます。進行したがんの患者さんは、やせてきたり、動けなくなったり、日々様相が変わっていきます。辛くて、見ていられなくなってしまうと、家族の辛そうな様子を感じて、患者さんはもっと辛くなってしまいます。ですから、少し距離感をもって見ていくことはすごく大事ですね。優しければいいということではないのです。

 優しさについてこういう話があります。「入院したくない」という、とてもわがままでワンマンの高齢の患者さんがいました。だけど動くと苦しくて、トイレに行っても途中で倒れて廊下で横になってしまう。家族は体を支えきれないし、とても見ていられない。だから「入院させます。もう家で看るのは無理です」と言って、入院の手配を強く迫ってきました。「何が大変なのですか?」と聞くと「とても私たちにはベッドに連れて行かれません」。「じゃあ廊下で寝かせておいたらどうですか」と言ったのです。家族の方は「とんでもない、そんなかわいそうなことはできません」とすごい剣幕。

 だけど、少し考えてみてください。「廊下で……」というのは「何があっても知らん顔しろ」ということではないのです。廊下で横になっていて自分たちが動かせなかったら、そのなかで少しでもいい状態で寝かせてあげることができれば、それでいいんじゃないですか。そうすれば、家にいることを切望している患者さんは家にいられるじゃないですか。

 そういうやり取りを実際にしながら、廊下に寝かせるのと、入院をさせるのとどっちが本当に優しいのかなと思いましたね。結局、入院の手配をしたのですが、入院予定の当日の朝、「入院はやめました」という連絡が家族からありました。実は、患者さんには「これ以上わがままにしていると入院になっちゃうけど、それでもいいの?」と少し脅かすという禁じ手を使い、ご家族には「どっちが優しいのですか」という話をしていたのです。その後は、とてもよい状態で療養ができました。結局、患者さんの意思を尊重して、尊厳を守っていくというのは、必ずしも目で見てよい形であることばかりではないように思います。その人にとって、本当にどういう状態が良いのかを、もう一つ掘り下げて考える必要があります。

「自律して生きる」ことを支える

 療養で何が大事か。私たちはキーワードとして「自律」という言葉を使います。これは在宅で療養する場合に、とても大事だと思いますが、在宅に限らず、がんに限らず、病気の療養全般にも同じことが言えます。「自律」、この言葉を辞書で引くと「自分の気ままを抑えて自分のことを自分でやっていく」とあります。しかし私は、がん患者はわがままをいっぱい言っていいと思っています。そのなかで自分自身が決めていく、自分自身でやっていく。そういう「自律」ができる環境をどうやってつくるかということが、とても大事だと感じています。  

 そのためには、何が必要かを少し考えてみましょう。まず言えることは、医療について「納得」してもらう。今まで受けてきた医療はこれで良かったのだ、選択は正しかった、今受けている医療は、私にとって良い医療なのだと思えるような状況をつくっていく。それから「安心」。具合が悪くなったら24時間いつでも対応してもらえる、という安心感。この2つがそろって初めて、自分のことを自分ではっきりと意思表示できるようになるのだと思います。

 私たちのところでは、この「自律」「納得」「安心」をキーワードとした在宅療養を目標にしています。
 
 最後に、診療を始めて2年近くが経過した今、これからは「がんのホーム・ドクター」という方向を考えています。あるときにがんの治療を打ち切られて、あるいは自分で打ち切るという決断をして初めて緩和ケアという選択をする、というのではとても辛いです。「もうダメか」と頭のなかで分かっていることと、それを決断することとは全く違うのです。私の所へ来る、あるいはホスピス病棟に入院するのは、その決断を形に表すということで、これはなかなか辛いことなのです。がんという病気を診ながら、全体としてがん患者の療養の相談・お手伝いをしながら、最後まで一緒に歩いて行かれるような、そういう意味での「がんのホーム・ドクター」という方向を目指していきたいと考えています。

 それからもう一つは、「ホスピス・アパート」構想です。家にいることが不安になったり、家族が疲れたりしたときに、緊急避難が必要になります。そのときに入院すると、どうしても病院の考え方に従わざるを得なくなります。まだ我々現場と病院とが混然一体となったチーム医療というのは遠い先ですから、一度入院してしまうとなかなか退院できなくなります。病院としては預かった以上は落ち着かなければ退院させられません。「落ち着いた」ということは、人によって、病院によって違いますから、なかなか退院できない。終末期の患者さんは、そのまま家に帰れない可能性も大きくなってきます。病院と家の中間として、診療所の近くに部屋があり、入院と同じような医療を保証して、施設ではなく自分の部屋・家として生活をしてもらいながら診療をし、緊急避難の場所として使えることができればいいなと思っています。

 こんなことを考えながら歩いていますし、これからも歩いていきます。

( さくさべ坂通り診療所・ホームページのアドレス) http://www11.ocn.ne.jp/~sakusabe/



CLOSE