---第26号特集記事---


― がんと向き合って ―

上野 創(はじめ)氏 (朝日新聞 記者)
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私は現在、朝日新聞東京都内版の記者をしております。特別な扱いを受けているわけでもなく、全く普通の記者としての仕事を続けています。

 私は1971年生まれで、31歳になりました。5年前、26歳の11月に告知を受けました。当時私は警察を担当しており、長野支局を振り出しに横浜支局に移って1年くらい経った時でした。長野では「松本サリン事件」を経験し、事件にはかなり強い記者になっていました。事件が“はじける”、つまり、逮捕や書類送検、身柄拘束あるいは任意で聴取を始めた、などというときに記事を書く。新聞記者は日々特ダネをつかむために動いている一面がありますので、常に他社に抜かれないようにということで走り回っていました。

 当時の私の生活は、朝6時に起きて車で捜査本部の幹部の家の前まで行き、出てくるのを待っていて「おはようございます。例の件はどうなっていますか?」そんなことを聞いて、会社に行く。夕刊締め切りまでは事件の送稿などをして、その後ソファーに横になって仮眠をとる。それからまた記事を書いたり、他のことをして、夜は再度取材のため幹部宅へ行きます。帰って来たところで、「例の件はどうなりました?」。それを毎日やる。自宅に帰るのは夜中の2時ごろになります。そんな生活をずっとしていました。

 「事件に恵まれる」と新聞記者の世界では言いますが、次々といろんな事件が起きました。回れば回るほど情報は入ってくるし、特ダネも書ける。初めて一面トップの記事を書いたときは、正直なところ鼻高々、意気揚々。この調子で新聞記者としてのキャリアを積み、磨いていこうと26歳だった私は思っていました。

 ところがある時、睾丸がいびつに膨れていることに気がつきました。痛くもないし、恥ずかしい場所ですし、人に相談もしにくいし、半年くらい放っておきました。健康診断で問診の際、女医さんだったんですが、思い切って「実は睾丸がちょっと膨れてまして……」と聞いてみました。「泌尿器科に行ってください」と言われました。泌尿器科がどういう科かもよく知らないくらい、医療に関して無知でした。

 受診した近くの泌尿器科医が「大学病院の方へ紹介状を書きます」と言います。「何か悪いんですか?」「いや、それを調べるために行ってもらうんです」。勘のいい人はここで気づくのかも知れませんが、私は深刻には受け止めず「面倒くさいな。わざわざそんな所まで行かなくちゃいけないのか?」という程度でした。




告知の仕方

 泊まり勤務明けに軽い気持ちで病院に行きました。医師は、触診と超音波で画像を診て、私の目の前に「座りなおす」という感じでした。

 「残念ですが、腫瘍ができています。悪性の可能性が極めて高い。すぐに手術をしましょう」。私は「腫瘍」という言葉で初めて反応しました。

「“悪性腫瘍”ということですか?」と聞きました。医師は「そうです」。「それって“がん”ってことですか?」「そうです」。これが私にとっての告知でした。

 後で振り返っても、「あなたはがんですよ」とは言われなかったことが、私にとってはすごく良かったと思います。いきなり「がんです」と言われた時のショックと、自分から「それってがんですか?」と聞いて「そうです」と言われた時の違いはすごく大きいんじゃないか、と。

 「がん」は今は治る人が増えてきていると言われていますが、やっぱりまだ、言葉のもつ暴力性はすごく強いと思います。病気にせよ、人生にせよ、全部自分で引き受けるしかないわけですが、自分の内側から出てきた言葉で確認し、それが告知につながり、自ら事態を引き受ける、困難に立ち向かっていく姿勢につながるんじゃないか、そんなふうに思いました。ただ、そう思ったのはずっと後のことですが。

 その時は、引き受けるも向き合うもなく、ショックすらなく、頭のなかは真っ白でした。CT・血液検査・呼吸機能検査と、病院の3階に行ったり4階に行ったり。でも自分の足で歩いている感覚がないんです。夢の中でフラフラとしているような感じでした。私のがんは10万人に1人か2人の確率だと言われています。どうして20代でがんなのか? その理由を知りたいのではなく、そういう事態がのみ込めないという感じでした。

 会社に戻ると、先日の健診結果が届いていました。「緊急」というような言葉と「肺に陰影が多数あるので要精密検査」と書いてありました。睾丸に腫瘍があって、医者から「明日、入院してください。あさって手術します」と言われ、事の重大さに夢遊病状態から現実に引っ張り戻される面もありましたが、肺の話をされてもがんとはつながりませんでした。「肺の影なんて、睾丸のがんに比べればたいしたことじゃない」というくらいの気持ちでした。今思えば、両者をつなげることが怖くて意識的に避けてたんじゃないかという気もします。

時間の流れから取り残される孤独

 世界が全く違って見えてきました。
それまでは、今、自分が追いかけている事件の話、読売新聞に抜かれないようにするにはどうしたらいいか、というようなことばかり考えて走り回っていました。明日も一週間後も今日と同じようにくるのが当たり前で、1年後も10年後も50年後も同じように過ぎていく、という勝手な思い込みでやっていたような気がします。

 ところが、「がん」と言われた後、まるで自分だけ世界から切り離されていくような、ついさっきまでは自分もその風景の中の一部だったはずなのに、はじき出された感じ。孤独で、寂しいというか、せつないというか、そんな感情で通り過ぎていく風景を見た記憶があります。

 会社に戻れば、みな忙しそうです。記事を書く、取材の電話がかかってくる、昨日の飲み会の話をして冗談を言う……そんな普通の空気が流れている。自分だけがそういう時間の流れの外にいる。一言でいうと“戦線離脱”のような気持ちでした。

 これから自分はどうなるんだろうという不安と、自分の担ってきたポジションを人に託して最前線から離れなければならない、という現実。こういう患者の孤独感というのは、ある意味仕方がないことだと思います。最後の最後はもう医療者がなんとかしてくれるという世界ではないんですね。孤独感とか「自分はたった一人で死んでいく」という思いは全部、最終的には自分で引き受けるしかない。これは再三思って、今もかみしめていることです。でも、それは「寂しいこと」じゃなくて、そのうえでどういうふうに生きるかなんだと、毎日、毎日思っています。

「転移」の告知

 話を戻します。
 私は手術を4回受けていますが、いつもわりとラクでした。結論が出るのがすごく早いんですね。痛みはこらえなきゃいけないけれども、いつか消えていくということは、はっきりしている。局所麻酔でしたので、たったカーテン一枚の向こうで自分の下半身が切開されている、というすごく不思議な体験をしました。ところが、抗がん剤治療は、手術のようにはいかない。

 がんで本当に怖いのは、転移と再発だと思います。「肺に多数の陰影」、これはやはり転移でした。告知にもいろんな段階があると思います。「あなたはがんです」という最初の告知ばかりが強調されますが、本当に難しいのは「転移の告知」であり、「再発した時の告知」、それから、もう治療しても完全に治すことは難しい段階になったときに、一体どうやって告げるのかということの方だと私は思います。

 私の場合の「転移の告知」は、手術から一週間ほど経って、傷が癒えてきたころでした。「今後のことで話がある」と呼ばれて行きましたら、CTの画像がシャーカッセンに貼ってありました。肺の写真でした。一目で白いボツボツが自分でも分かるんです。しかもそれが肺全体に広がっている「多発転移」でした。「星空のようだな」と、すごくヘンなことを思った覚えがあります。「これだけたくさんあると手術では取れません」「じゃあ、どうすればいいんですか?」と聞いたら「抗がん剤治療をやりましょう。この病院ではできないので、関連の大きな病院に入院してもらいます」。

 私は手術で治療が終わると思っていたので、その時の衝撃というのは非常に大きかったです。「もう仕事に戻ろう」というくらい前のめりになっていましたので、「どれくらいかかるんですか?」と聞いたら、「数ヵ月からもうちょっとくらいかな」と言われました。実際には7ヵ月入院することになったんですが、医師がすごく慎重な人で、事実ははっきりと伝えてくれるんですが、一気に全部言うんじゃなくて、少しずつ教えていくんですね。「肺に転移がありそうだ」と、いきなり告知の直後に言われていたら、なかなか自分を支えきれなかったんじゃないか。段々悪いことを言われていくというのも嫌なものですが、ただでさえ「がんだ」と告げられることは衝撃なのに、「転移があります。1年近く入院します。化学療法はこんなに辛いです」と、まとめて全部言われなくて、私としては良かったと思っています。


リスクの羅列はインフォームド・コンセントではない

  インフォームド・コンセントというのは、「患者に正確な情報を伝えよう、治療に関してもリスクも含めて説明し、それを患者が受け止めたうえで選択していく」という患者本位の大事な考え方なんですね。「おれに任せておけ!」的なパターナリズム全盛だったかつての医療は、それでずいぶん変わったと思うんですが、では全部患者に投げてしまえばそれでいいのか、というところがなかなか議論されていないような気がします。

 私が化学療法の説明を受けた時には、一言で言うと「薬が効いたら治ります」―― それだけでした。「その薬の副作用は?」と聞くと、そこからの説明が長いわけなんです。吐き気や脱毛はほとんど起きるから、それほど問題じゃない。ところが、例えば「肝臓障害が起きる可能性があります。肝機能が上がっていくと、代謝がうまくいかなくなって最終的に命にかかわります」「腎臓にも影響が出ます。尿が出なくなると、腎臓が回復するのはすごく難しいので命に関わります」「白血球が低下するので、感染症になるかも知れません。肺炎を起こすと普通の人はなんでもないちょっとした菌でも、命に関わります」と、全部「命に関わります」なんです。

 次から次へと副作用のフルコースを教えてもらうことがインフォームド・コンセントか、これは本当に患者本位なのか、と思ってしまったくらい、非常に辛い時間でした。もっと言うと「末梢神経障害が起きる可能性があります。これがひどくなると四肢麻痺までいくかもしれません。そうなると、もしかしたら車椅子になるかもしれない」。

 私は、肝臓も腎臓も多少の影響は出ましたが、それによって命に関わることはありませんでした。実際、肺炎も起こしましたけれど、元気にやってますし、しびれも出ましたが、四肢麻痺まではいかなかったんですね。

 「わずかな可能性でも、ちゃんとリスクは伝えましょう」という姿勢はインフォームド・コンセントの大事な面ではあるんですが、聞かされた方としては、「それらが全部自分に起きるのではないか。自分は肝臓がダメになって、腎臓もおかしくなって、退院はできても車椅子になって……。じゃあその先どうやって生きていけばいいのか。どうやって新聞記者を続けていけばいいのか」。そこまで思い悩んでしまうんですね。インフォームド・コンセントに反対しているわけではないんですが、「私は全部を患者さんに正直に話すいい医者ですよ」という顔をしている人を見ると「あなたがやっていることは、ボールを全部患者に投げて、自分の荷を軽くしているだけじゃないですか」と言いたくなるほど患者は重いものを背負わされてしまう。

 良くない情報・悪い結果の危険性も、本人が全部背負って、また気持ちを立て直していくしかないわけですが、後ろから突き飛ばすような告知の仕方・副作用の説明、そういうものがまだまだきっと今でも医療現場では行われていて、告知以上の不安を抱えて、必要以上に青い顔をして病院から出てくる患者がいっぱいいるんじゃないか、という気がしています。


気持ちを立て直して向き合う

  私は脳にも肝臓にもリンパ節にも転移がありませんでした。睾丸から肺ですから、すごく遠いので、あちこちに飛び散っているのは間違いないと言われたんですが、幸い、がん細胞がそこで増殖しなかったらしいです。これは、たまたまであって、脳まで行ってたらちょっと難しいとか、肝臓は増えやすいとか、いろいろ聞いていたものですから、検査の結果を聞くときは、いつも分かれ道にいるような気がしました。そして、いい方に行くんじゃなくて、また悪い方へ行く。「がんになりました。転移があるか、無いか」。ありました。「リンパ節だったらそんなに遠くへ行ってない。だけど肺まで行ってたら、かなり遠い」。肺に手術で取り切れないほどのがんがある。つまり、末期に近いということを家族が医師に言われたわけです。

 そうやって段々分かれ道で悪い方へ、悪い方へと行く。それが実は、がんの本当の怖さなんじゃないか。それをどうやって道々立ち止まって引き受けていくか。そこの気持ちの立て直し方というところこそ、がんと向き合うための一番のポイントになってくるんだなということを、そのとき私は思っていました。

 実はその分かれ道がすぐそばに来ていました。「睾丸腫瘍というのは、抗がん剤が効きますよ。だからそんなに落ち込まなくていいですよ」という話も当時入ってきていました。実際に化学療法を受け、最初の3週間が終わり、CTを撮ってその結果を聞きました。「残念ですが、薬が効いていません」。……。

 長い闘病のなかで一番辛かった瞬間というのは、実はこの時かもしれない。「薬が効かない……、死ぬしかない、ということか?」。私は闘病中にはそんなに泣かなかったんですが、この時には泣きました。自分が明らかに「死ぬ」ということを突きつけられたようで、打ちのめされる思いで、「自分はもうダメだ!」と、妻と一緒に涙を流した覚えがあります。



がんが背中を押してくれた結婚

  妻の話なんですが、がんになったころ、私たちは彼氏と彼女という関係でした。同じ支局の先輩で、付き合っているのが知れると、どっちかが配転されちゃうんじゃないかとか、他の人とどういう顔をして会えばいいのか分からなくなるので、内緒にしてました。「今、結婚しよう」という強い理由がなくて、お互い一緒にいて楽しくやってるからいいんじゃないか、というくらいだったんですが、私が入院して、彼女にその事実を言った2、3日後に「結婚する!」って言い出したんです。ビックリしました。「がんになった人間と結婚してどうするんだ」と。この先治るかどうかも分からないし、そんな簡単に結婚を決めて大丈夫かと思ったのですが、「親にも言ってある。全部了解を取ってきた」。翌日婚姻届を持ってきて、ハンコを押しまして、入院と入籍が一緒になって、友だちからは「何と言っていいのか分からん。『おめでとう』と言うべきか、『たいへんだね』と言うべきか」と言われました。

 睾丸腫瘍は若い人しかなりません。一番年長者でも40代くらい。多くは20代という人生のなかでもすごく微妙な時期に発症します。ネット上で睾丸腫瘍の患者の相談を受けているところで、私も今協力してるんですが、例えば、
・彼氏ががんになってしまった。どうしたらい いか?
・結婚式を控えてフィアンセががんになってし まった。
・自分ががんになってしまい、彼女に「理由は言 えないけど、別れてくれ」と言おうと思っている。

など、正直なんですね、20代っていうのは。私たちのようにジェットコースターみたいにいきなり結婚に突入していくカップルはむしろ少なく、もっと考えて、思い悩んで、親から反対されて、彼女の方は「自分の将来どうしよう」、彼氏の方は「自分は二度と結婚できないかも……」と苦しむ。

 私は、相手が強硬に「結婚しよう」と言ってくれたものですから、普通逆なんですが、「よろしくお願いします」と結婚しました。医師の説明を聞く時に、「彼女」とか「フィアンセ」という立場はすごく不安定なんです。ところが「妻」という立場はものすごくハッキリしている。よく我が家では、「民法を改正して夫婦別姓を進めよう」とか、「事実婚はそれはそれでいいんじゃないか」という話をするんですが、「結婚・入籍」というのは社会的にこういう意味なのかと、その時感じさせられました。



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