― 心の癒しとユーモア ― |
アルフォンス・デーケン氏 (上智大学文学部教授) |
成田日赤新棟完成記念講演録 |
私は生まれた時はドイツ人でした。その後、フランス・イタリア・アメリカなど
12カ国で生活しましたので国際人になりました。今、日本に骨を埋めようと思
っていますので、心は日本人です。上智大学で「死の哲学」を教えています。 デーケンという名前のとおり、「何もでーけん」(笑)。今日は皆さんと一緒に 「心のいやしとユーモア」という大切なテーマについて考えていきたいと思いま す。 第1に「出会いと別れの意義を考える」 第2「心のいやしを求めて」 第3「愛と思いやりに満ちたユーモアを」 |
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![]() 日本では今、3人に1人はがんで死にます。私たちは遅かれ早かれ死に 直面する時が来ます。そこで、現実的に考えて、最後の日々をどういうふうに 過ごしたいか、ただ死を待つのではなく、有意義に過ごすために教育が必要だ と思います。 教育の4つのレベルを考えます。 1. 知識のレベル キューブラー・ロスさんの「死ぬ瞬間」を引用しました。死のプロセスや、 死に直面したときの心理的状態についての研究も多くあります。 2. 価値観のレベル 例えば脳死臓器移植。私も厚生省・臓器移植の研究員のひとりです。 日本でも多くの人が臓器移植を待っていますが、一般市民はまだ問題意識が 足りません。私は慶応病院のアイバンクに登録しました。私が死ぬとき、 私のこの美しい目を火葬にしてはもったいないと思って、誰かに差し上げたい。 まあ、死ぬまで待って下さいね。(笑) これは、価値観です。私は、私の死によって誰か今見えない人が見えるよう になれば、素晴らしいじゃないかと思うのです。 あるいは移植。人工透析で週3日3時間。私の姪もそうでした。 大学病院で腎移植を受けて普通の生活を過ごせるようになりました 。それを知った時、私は早速、腎移植の登録をしました。腎移植を待っている 人は大勢います。そういう人を助ける。これは、価値観。 3. 感情のレベル 死に対する過剰な不安・恐怖を乗り越えるための感情のレベル。 4. 技術のレベル 具体的に患者のいろいろなニーズをよく理解して、それに対して何ができるかということです |
![]() 日本語では「死」という言葉は、ほとんど肉体的な死を意味します。 私は、最近死の4つの側面を考えています。 1. 心理的な死(psychological death) 2. 社会的な死(social death) 3. 文化的な死(cultural death) 4. 肉体的な死(biological death) 私は、アメリカの老人ホームや病院で勉強したことがあります。人間と いうのは、肉体的な死を体験する以前に、心理的な死を体験すると思います。 いっさい生きる意欲がなかったら、心理的には死ですね。(心理的な死) 人間は本質的に社会的な生物です。ドイツの中学・高等学校の教科書で
死への準備教育の本が20冊も出ています。お父さん・お母さんが何十年も
苦労して子供を育て、そしていよいよ自分が入院したときに子供たちが来て
くれなければ、これは社会的な死ですね。 人間はまた本質的に文化的な生物でもあります。だから、文化的なうる おいがなければ、結果的には文化的な死となってしまいます。(文化的な死) 学会でよく、何故人間は長く生きるようになったか、という発表があります。
毎日泳ぐ人は、6年間長く生きる。ですから私も毎朝上智大学のプールで泳い
でます。毎日歌う人はプラス4年だそうです。 クォリテイ・オブ・ライフ。量だけでなく、質が大切です。私は、英語の
quality of lifeは、日本語で生命だけでなく、生活だけでなく、「生命や生
活の質」と翻訳します。音楽療法・読書療法・芸術療法・作業療法・アロマ
セラピー・ペット療法などは、心のいやし、あるいは生命や生活の質を改善
するために大切な新しいアプローチだと思います。 |
![]() 心のいやしのもう一つの非常に重大なポイントは、死別体験者・愛する人 を失った人への心のいやし・心のケアです。 フランス語には美しいことわざがたくさんありますが、私が留学した時、
一番感激したのは「別れは小さな死」。 私は、悲嘆のプロセス12段階のモデルをつくりました。
これは、アメリカ・オーストラリア・ドイツ・日本で何千人もの体験者を比較
しながら作ったものです。 昨日会った「生きる」に出た女優さんは、子供を失ってから私の研究室
に来て「大和 生と死を考える会」の死別体験者の分かち合いのグループを
作りました。 立ち直る段階での心のいやしでとくに重大なことは、同じ体験がある人
との分かち合いだと思っています。経験していない人にはなかなか理解でき
ないのです。 私はいろいろな国際学会で、死別体験の発表を聞きました。 |
![]() まず、医療関係者の発想の転換として、病名告知とインフォームド・コンセ ント、ホスピス的ケアのあり方について話します。 私は以前、厚生省の末期医療検討委員会で、大きなテーマのひとつ
「がん告知」について討議しました。私は告知が望ましいと言ったんですが、
どうもその時はまだ一般の意識として隠しておいた方がいいんじゃないか、
という意見が強くありました。なぜ望ましいか? ロンドンのいろいろな病院でホスピスを研究していた時、精神科の医者
と回ったのですが、ある患者さんの奥さんがこういうふうに言いました。
「うちの主人が末期がんであることはよくわかっています。でも、主人は本当
に弱い人です。彼には何も言わないで下さい」と。一方、患者さんの最初の
言葉はこうでした。「私は自分が末期がんだということをよく知っています。
うちの家内はとっても弱いので言わないで下さい」と。 私は患者が死ぬとき、いつも2つのことを分析します。一つは人間らし
い死に方であったかどうか、二つ目は遺族についてです。 ですから「がん告知」という問題は、ただ病名を告げるということで はなく、コミュニケーションという枠のなかで「がん告知」をし、末期患者 に最後まで精一杯人間らしく生きるチャンスを与えることじゃないか、 といつも考えています。 もう一つの実例は、私は毎年上智大学で「死の哲学」を教え、800人が
私のコースをとっていますが、そのなかで、毎年何人かのお父さんが亡くな
ります。 お父さんにとって、本当の自分の価値観・自分の理想・自分の息子に
対する希望を伝えることができたということは、クォリティ・オブ・ライフ
にとって最高のことだったと思います。そして息子さんにとっては、自分は
近いうちに父を亡くすということを理解しながら、一生懸命お父さんと話し
コミュニケーションをとって、そういう人間的なふれあい・分かち合いがで
きたということは、貴重な体験でした。それは、二度とないんです。 しかし、悲しい、ネガティブな実例もあります。地方で講演したとき、
前に座っていた看護婦さんが突然涙を流しました。私は、彼女を東京で知っ
ていました。お父さんが同じ病院で亡くなったんです。彼女は当然がん告知を
した方が望ましいとわかっていましたが、医者は「お父さんは知らない方が幸
せだ」と言った。 お父さんは知っていました。知らない方が幸せだ、と言っても、それは勝手 に想像するだけのことです。本人は極端な孤独のなかで最後の1カ月を過ごし たんです。そのとき彼女は、ターミナルケアにおいて、看護婦として大切なこと、 またお父さんに対する最後の贈り物はがん告知を含むコミュニケーションであっ た、と思ったんですね。 |
![]() 肉体的には治らないとわかっていても、まだ心のいやしがあるんです。 死に直面すると誰でも孤独です。寂しいです。一番望むのは、自分にとって 大切な娘・息子・配偶者あるいは友達と話すことです。相手に耳を傾けてほしい。 その悩み・苦しみについて聞いてほしい、共感してほしいんです。それがで きないと心のいやしはないんですね。 私は「する」医療と「いる」看護とを区別しました。ドイツ語の専門
用語でとても感激する言葉「Sterbebegleitung」末期患者と共に歩む、があ
ります。Begleitung は共に歩む・そばにいる、という意味です。
ですから文字どおり、医療従事者として、家族としてそばにいるということ
がとても重大だと思います。 昨日「東京 生と死を考える会」で死別体験者のひとりの男性に「奥さ
んが死ぬとき、一番辛かったのは何でしょうか?」と聞くと「妻が死に近づ
くと、医者はだんだん病室に来なくなり、いる時間も短くなる。看護婦は避
けるようになる。それが一番辛かった」と話してくれました。 |
家族も患者も一つの大きな問題は思いわずらうことです。いろんな
心配はありますが、大部分の人は自分がコントロールできないことについて
思いわずらう。そのくせ、本当にコントロールできることは、できてもやら
ないんです。 「明日のことを思いわずらうな」という例えになりますが、私は、
「第3の人生」という本を書く前、アメリカの老人ホームで生活して、
お年寄りを朝から晩まで見ていました。だいたいの人は楽しくしていたんですが、
ある人は朝から晩まで思いわずらっていました。 |
心のいやしの大切なポイントの一つは、「生きがい」です。 スピリチュアリティという言葉がよく使われますが、スピリチュアリティの ひとつの大きなテーマは、生きがいの探求だと思います。 私が生きがいについてとても感激する言葉にドイツの哲学者アルフ
レッド・デルプの言葉があります。彼は、37歳の若さで死刑にされました。
反ナチ軍の人でした。 これは深いですね。私も毎晩寝る前に、今日は意義のある一日を過ごせた
かどうか? 自分の努力によって少しでも多くの愛と平和、光と真実をもた
らされたのであれば、意義のある一日を過ごせたといえるんですが、もし、
愛の代わりに夫婦喧嘩をし、平和の代わりに隣の奥さんと争いごとを起こし、
光の代わりに悲嘆を広め、真実の代わりに隣の奥さんの悪口を言ったとすると、
意義のある一日ではなかったと反省しなければなりません。 私は上智大学で、毎年「ホスピス・ボランテイア講座」をやってます。
去年は250名。そのなかで一番多いのは20代の女性。これは大きな日本の希望
ですね。アメリカの大きな調査で1700人の年寄りの男性を10年間調査しました。
ボランティアをやっていない人は、やっていた人の2.5倍の死亡率になってい
るんですね。研究発表のタイトルは「ボランティアでもっと長く生きる」。 |
「第3の人生」への6つの課題、ということは、末期患者が緩和ケア病 棟に入ってからの6つの課題と解釈してもいいです。 1. 手放すこころ〜執着を断つ 2. ゆるしと和解〜こころのケアの大切さ 3.感謝の表明 4.さよならを告げる 5. 遺言状の作成 6. 自分なりの葬儀方法を考え、それを周囲に伝えておく |
A. ユーモアの概念 B. ユーモアと健康 C. ユーモアは愛と思いやりの表れ D. ユーモアと笑いによるコミュニケーション 最後になります。今日のテーマは「心のいやしとユーモア」についてです。 「にもかかわらず笑う」。 苦しんでいるのにもかかわらず、相手に対する思いやりとして笑うとか、
思いを示すという重大さを発見したのは、私の人生において辛い時でした。 招待された家に行き、おいしいご馳走を食べながら、笑顔でよくうなずき、
5分ごとに「そうですね」と言いました。私も奥さんの顔を見て、笑っていた
のでよかった、と思っていたんですね。 皆さんにも最後に勧めたい。 |